ひびきあふ

自然の音と響き合ふ

あの日から始めた俳句
東日本大震災を
風化させてはならぬ・・・と
575に思いを籠めて
命のかぎりにおいて
詠みつづける

野に在りて詠まむ
命のほのほ在りて
詠まむとす

空を見上げると、そこには夢がある。
或いは、飛行機が消えていったりする。
変幻自在の雲が、 時として姿を変えつつ消えてゆく。

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何回も云うけれど、雲はやっぱり天才である。
と・・・石川啄木が云ったのであった。

このところ、空を見上げるのが怖い。
雲が、暴力的に姿を変えているからである。 

不穏と云おうか、怪訝なと云おうか。
とまれ、怪しげなのである。 
 
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雲の峰、なる美しい表現もあるけれど。
やはり、怖い。
大雨をもたらし、大災害を引き起こす。
驟雨と云う季語もあるけれど、その驟雨は怖い。

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おーい!
と呼びかけてみたくなる、空。
どこへゆくのだ!
飛行機の航跡を追いかけながら、心は千路に乱れる。
ウイルスは、変質を重ねてゆくのに・・・。
人の本質は、いっかな変わらない。
変わらないどころか、むしろ先祖返りしている。

なんだか辛い。
心が痛む、のだ。
人の心は、螺旋的に昔に返ってゆくのだろうか。


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 行く末は螺旋の終はり夏の雲

           荒 野人

 

野に在りて詠まむ
命のほのほ在りて
詠まむとす

猿も滑ってしまう、そうした樹皮を持ち合わせている。
百日紅が咲いて、暑さを演出する。
夏を演出し、夏を象徴する花なのだ。
 
改めて思ったのだけれど、花の色が万別で極めて個性的なのだ。
或いは、家ごとの花の色が違うと言っても良いのかもしれない。
真紅の色があった。
まるで、怨念を絞り出すように咲いていた。
それはそれで、かなり恐怖感を覚えさせるのである。
自らの、罪深い血潮を搾り出すかのようなのだ。

喘ぎながら街を歩いている時、真紅の百日紅に出会うと一瞬ビビる。
同時に淡い赤であっても、ギラギラした太陽の熱を吸収する様相は健気でありつつも恐ろしい。
それは、熱気を放出しているからなのかもしれない。 


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 恐ろしき熱気放てる百日紅

          荒 野人
 

野に在りて詠まむ
命のほのほ在りて
詠まむとす

河川敷ほど、夏の照り返しをもろに受ける場所はない。
土手の下であろうが、上であろうが・・・河川敷自体に日差しは遠慮会釈が無いのである。

ましてや、そこから見上げる空に遠慮会釈があろうはずもない。
その衒いのなき風景に、ぼくは憧れるのだ。


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 衒ひなき夏の陽射しの河川敷

           荒 野人
 

野に在りて詠まむ
命のほのほ在りて
詠まむとす

臭木は、初秋の季語である。
残念なことに、牡丹臭木は季語とはなっていない。
けれど、この牡丹臭木は今が丁度見ごろを迎えている。
花卉全体としては、あの臭木の臭いがする。
花はと云うと、甘やかなほんのりとした匂いを湛えている。
そう、蝋長けた女性の残り香のようである。

植物としては、かなり生命力の強い根を張っている。
抜いても抜いても、生えてくる。
途絶えることなく、花を咲かすのである。
花は、見栄えがするのでそれでも良いかと思える。

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咲き始めは、こんな塩梅である。
良く見ると、可愛らしい花である。

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満開になると、花が全体を覆うのである。
そして、甘やかな匂いを振り撒くのだ。
﨟長けた女性の残り香のような・・・。


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 牡丹てふ臭木の花の﨟長けて

           荒 野人

 

野に在りて詠まむ
命のほのほ在りて
詠まむとす

夏の季語、夕焼。
夏の夕焼は、ぐるりと広がってゆくのだ。
赤みを帯びた光が、深く地球に沈んでゆく。
だがしかし、光を点在させきらきらと沈んでゆく。

オーケストラで夕やけこやけを聴こう!


夏の夕焼は、美しい。
ただ、眺めていたいだけの夕焼。
一人で良い。
感動は個人的な事情、なのである。


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 夕焼の光残して沈みゆく

         荒 野人
 

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