ひびきあふ

自然の音と響き合ふ

2020年03月

野に在りて詠まむ
命のほのほ在りて
詠まむとす

母子草は、誠にしっとりと咲き初める。
花が弾けるところは、まだ見た事が無いけれど・・・。
きっと絮になって、飛んでゆくのだ。
母なる草なのだから。

野人の母は、若くして逝った。
野人が大学2年の秋、の事であった。

花の好きな母を、コスモスが連れて逝った。
父が、そのように文書に残した。
妹も、そう思ったと云った。
野人も、そう思った。

けれど、この母子草が咲き始めるとどうしても母を思い出してしまう。
男の子は、永遠にマザーコンプレックスなのである。

 
0315母子草


 母子草若く逝きにし母のこと

           荒 野人
 

野に在りて詠まむ
命のほのほ在りて
詠まむとす

花海堂が揺れている。
まことに色を散らして余りある風情、である。
 

0325花海堂
 

春は、こうした色合いが良く似合う。
ほのぼのとして、安らぎを感じられるのである。
黄色は目に優しい。
ピンクは心に優しい、のである。


0325花海堂2
 

 揺るるほど色香散らせる花海堂

            荒 野人
 

野に在りて詠まむ
命のほのほ在りて
詠まむとす

時ならぬ、春の雪。
コロナ苦の東京に、雪が降っている。
だがしかし、雪によっても覆うことは無い。
むしろ問題点が、浮き彫りにされると云って良い。

温暖化と云う、自然破壊のつけが回ってきているのだと思う。
コロナウイルスを世にはなったのは、やはり温暖化である。
自然界にだけ閉じ籠めていた神の思惑を、人類のエゴが破ってしまったのだ。 

この春の雪だって、そうだ。
地球環境の人類への反逆、なのだ。
共生などと綺麗事を云っていた自分が、恥ずかしい。
エコロジストを自任する人ほど、反省をするが良い。


0329路地に雪
 

野人の好きな路地。
日常生活が、プンプンと匂う。
雪が降り続いている。

太郎の屋根も次郎の屋根も、白く染まっている。
ミモザの上にも、降りかかっている。


0329ミノザに雪2
 

 春の雪止まば希望が見えてくる

            荒 野人
 

野に在りて詠まむ
命のほのほ在りて
詠まむとす

外出自粛二日目、だ。
東京は、春の雪。
自粛が効いている。
意識下では、の話しである。

運動が必要な人にとっては、もっとも手軽で続けてきたウオーキングが出来ないのは辛い。
かく云う野人も、その一人である。

春の雪で、句を詠める。
花曇りだって、句に詠める。
けれど、雪が降る気候の異常さを実感できない。
花曇りを実感できない。
写生こそ命なのである。

若きも、老いもこのブログで花見をして欲しい。
写真では詩情を実感できないけれど、せめてもの慰みである。

先ず、清瀬市「金山公園」の桜並木。
柳瀬川沿いの桜並木である。


0327柳瀬川桜1
 

次いで、石神井川の桜。
いつも花筏を撮りに出かける、のである。


0328石神井川の桜2
 

三枚目は、和光市の白子川の桜。
来年こそは、万朶の桜を愉しもうではないか。
来週以降、花吹雪や、花筏、蘂降る、葉桜とまだまだ愉しめる。
色んな桜を愉しむ、ころなを吉に変える思考を持ちたいものである。


0326白子川の桜
 

 さくらさくら人の視線と声と熱

            荒 野人
 

野に在りて詠まむ
命のほのほ在りて
詠まむとす

雲雀の初声を、聴いた。
心が躍った。
うきうきした。
何故かしら嬉しかった。
世の中、コロナコロナと埒も無いけれど愉しい気分になった。

いつもの散歩道のどん詰まりの小学校が、解体されている。
団地の宿命であるけれど、子どもの数が劇的に減って小学校が余っている。
すっかりならされて、囲いだけが金属的に光っている。
人の暖かみが感じられない、のである。
あの、子どもたちの嬌声やはつらつとした声も聴こえない。

その工事現場に、ひばりの声が響いたのである。
ほっとして、暖かみを感じたのであった。


0326工事現場
 

 揚雲雀工事現場の昼下がり

          荒 野人
 

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