野に在りて詠まむ
命のほのほ在りて
詠まむとす
ぼくは石楠花の系列の中にいる。
そう自負している、のである。
石楠花の正統を継ぐのは、自分だと確信しているのである。
俳句即人生。
そう教えていただいた。
多くの先達が、綺羅星のように名を連ねている。
眩しいばかり、である。
石楠花が咲く頃、ぼくは必ず臼田亜浪翁の郭公の句を思い出す。
郭公やどこまでゆかば人とあわむ 臼田亜浪
深い森に分け入るとき、臼田亜浪翁を頭に浮かべる。
或いはまた、疎林と云うべき林に入り込んだ時も同様である。
自然の中に身を置くとき、ぼくは句を詠むことができる。
森羅万象に、常に身を置きたい。
曼荼羅の一部ともなって、身を滅ぼすのならそれも人生。
俳句即人生。
その真理は、その生きざまなのかもしれない。
石楠花やどこまでゆかば満たさるる
荒 野人
命のほのほ在りて
詠まむとす
ぼくは石楠花の系列の中にいる。
そう自負している、のである。
石楠花の正統を継ぐのは、自分だと確信しているのである。
俳句即人生。
そう教えていただいた。
多くの先達が、綺羅星のように名を連ねている。
眩しいばかり、である。
石楠花が咲く頃、ぼくは必ず臼田亜浪翁の郭公の句を思い出す。
郭公やどこまでゆかば人とあわむ 臼田亜浪
深い森に分け入るとき、臼田亜浪翁を頭に浮かべる。
或いはまた、疎林と云うべき林に入り込んだ時も同様である。
自然の中に身を置くとき、ぼくは句を詠むことができる。
森羅万象に、常に身を置きたい。
曼荼羅の一部ともなって、身を滅ぼすのならそれも人生。
俳句即人生。
その真理は、その生きざまなのかもしれない。
石楠花やどこまでゆかば満たさるる
荒 野人