タグ:句会
茶の花
奪衣婆の真姿を見たか
野に在りて詠まむ
命のほのほ在りて
詠まむとす
奪衣婆・・・「だつえば」である。
着ているもので、その善悪を判定すると云う仏である。
句会の仲間は、奪衣だからヌードなんじゃないか・・・と言い放った。
可笑しいけれど、それも言葉の世界で生きる俳句詠みとしては理解できる。
その会話を聞いて、御住職が横から会話に入ってきてくれた。
奪衣婆の本当の姿は、善悪を判定する重要な責務を担っていると云うのである。
奪衣婆は、三途の川の彼岸で死者を待ち構えている。
死者が最初に出合う、冥界の官吏である。
死者は奪衣婆によって、衣服を剥ぎ取られる。
剥ぎ取った衣服は「懸衣翁」によって、彼岸の岸に立つ大樹「衣領樹」の枝に掛けられる。
その重さによって、死後の処遇が決められるのである。
枝のしなり具合は、誠に死後の処遇が決せられる重要な現象である。
重ければ、生前に悪さをしていたと判断される。
軽ければ、生前に質素で清く美しき生きて来たと判断されるのである。
贅を窘める奪衣婆、である。
奪衣婆の贅をたしなむ彼岸あと
荒 野人
命のほのほ在りて
詠まむとす
奪衣婆・・・「だつえば」である。
着ているもので、その善悪を判定すると云う仏である。
句会の仲間は、奪衣だからヌードなんじゃないか・・・と言い放った。
可笑しいけれど、それも言葉の世界で生きる俳句詠みとしては理解できる。
その会話を聞いて、御住職が横から会話に入ってきてくれた。
奪衣婆の本当の姿は、善悪を判定する重要な責務を担っていると云うのである。
奪衣婆は、三途の川の彼岸で死者を待ち構えている。
死者が最初に出合う、冥界の官吏である。
死者は奪衣婆によって、衣服を剥ぎ取られる。
剥ぎ取った衣服は「懸衣翁」によって、彼岸の岸に立つ大樹「衣領樹」の枝に掛けられる。
その重さによって、死後の処遇が決められるのである。
枝のしなり具合は、誠に死後の処遇が決せられる重要な現象である。
重ければ、生前に悪さをしていたと判断される。
軽ければ、生前に質素で清く美しき生きて来たと判断されるのである。
贅を窘める奪衣婆、である。
奪衣婆の贅をたしなむ彼岸あと
荒 野人
東京大仏吟行
野に在りて詠まむ
命のほのほ在りて
詠まむとす
東京大仏は、国内で第四位の大きさである。
鎌倉、次いで東京の日の出町、3番目が奈良の大仏。
そして、この東京大仏である。
青銅製の大仏で、黒黒と輝いている。
もっともっと歳月を重ねてゆけば、重みのある褐色の大仏に変身するのだと思う。
最も、ぼくがそこまで生きていないのだからそう思い込んでいるのである。
この日の吟行には、梓さんがお出でにならなかった。
いつも元気に参加されていたので、寂しかった。
体調不良とお聞きした。
息災であられることを、希望するばかりである。
お見舞いを申し上げるしか、野人には手段がない。
早いご回復を祈ろう、と思う。
吟行後の句会は、赤塚植物園の六人座れる木のテーブルを囲んで行った。
先生が、添削しなくて済むような佳句が投句された。
外でする、句会は楽しい。
食事も弁当を広げて、和やかにいただいた。
東京大仏の次に行った、赤塚植物園では「秋の蚊」に悩まされた。
投句された数句は、蚊に悩まされた句であった。
それも楽しい。
痒い痒いと言いながら、句会が進行した。
東京大仏は、秋思の中にあった。
大仏の微かに秋思の中にあり
荒 野人
命のほのほ在りて
詠まむとす
東京大仏は、国内で第四位の大きさである。
鎌倉、次いで東京の日の出町、3番目が奈良の大仏。
そして、この東京大仏である。
青銅製の大仏で、黒黒と輝いている。
もっともっと歳月を重ねてゆけば、重みのある褐色の大仏に変身するのだと思う。
最も、ぼくがそこまで生きていないのだからそう思い込んでいるのである。
この日の吟行には、梓さんがお出でにならなかった。
いつも元気に参加されていたので、寂しかった。
体調不良とお聞きした。
息災であられることを、希望するばかりである。
お見舞いを申し上げるしか、野人には手段がない。
早いご回復を祈ろう、と思う。
吟行後の句会は、赤塚植物園の六人座れる木のテーブルを囲んで行った。
先生が、添削しなくて済むような佳句が投句された。
外でする、句会は楽しい。
食事も弁当を広げて、和やかにいただいた。
東京大仏の次に行った、赤塚植物園では「秋の蚊」に悩まされた。
投句された数句は、蚊に悩まされた句であった。
それも楽しい。
痒い痒いと言いながら、句会が進行した。
東京大仏は、秋思の中にあった。
大仏の微かに秋思の中にあり
荒 野人
キーウは息づいているか
野に在りて詠まむ
命のほのほ在りて
詠まむとす
命のほのほ在りて
詠まむとす
頼朝は、鎌倉の安寧を祈って千羽鶴を天に放ったと云われている。
ウクライナのドンバス地方へのロシアの砲撃は、無慈悲である。
平和を希求し、ウクライナに寄り添わんとする我らはただ世論の喚起しか為す術とてない。
ひたすら哀しい。
せめて頼朝のように、千羽鶴でも放とうか。
ウクライナ戦争の初めの頃、千羽鶴を送った市民団体があった。
戦争に千羽鶴が要なのか、といった議論があった。
生き死にをかけた戦いに、確かに千羽鶴は助けにならない。
そう思う。
いま、そうした議論は起こりようもない。
ウクライナ戦闘地域は、地獄であって消耗戦である。
千羽鶴を受け取って、壁に掛ける作業時間こそが惜しいのだと思う。
その刹那、ウクライナの国民が死に、ウクライナの兵士が倒れている。
ロシアが占領したマリウポリは、中世の暮らしだと云う。
中世の暮らしがどんな暮らしかは、知らない。知らないけれど、きっと不自由で不衛生で耐え忍ぶべき事が多いのだろうと推察する。
コレラやペストが蔓延する住環境に、あるのだと思う。
それでも、キーウは死んでいない。
息づき、人人の営みが連綿として続けられている。
シリウスは輝いているか?
死の汀で、そう問うた政治家がいた。
今国際世論は、キーウは息づいているか?
と、問い続けなければなるまい。
安寧の場所とてない、ウクライナ。
だがしかし、確かに息づき命を繋いでいる。
おそるべき、兵員や重火器の損耗率である。
ウクライナだけでなく、ロシアも同じだ。
マリウポリの生活は中世だと云うけれど、ウクライナ戦争は、まるで第二次世界大戦の有り様だ。
戦車が広く展開し、榴弾砲が飛び交う。
戦争前は小麦畑や向日葵畑だった大地は、血塗られた。
中世の戦争
中世の戦争
キーウは息づいているか。
シリウスは、輝いている。
ウクライナの国民は、諦めることなく戦い続けるであろう。
いま、テーブルに珈琲が運ばれてきた。
琥珀色のまったりとした、珈琲である。
香ばしい薫りが、際立っている。
焙煎が上手くいった証左である。
少しの苦さと、奥深い甘さが気持ちを解きほぐしてくれる。
今日の句会は、惨敗であった。
いつ、いかなる時でも句会は厳しい。
きちんと推敲していない句は、出すべきではないと改めて思う。
吟行の句会ではないのだから・・・。
五七五を、嘗めてはいけない。
短詩型だからこそ、よくよく吟味して推敲して矛盾のない句を出すべきである。
反省しきりの野人、である。