ひびきあふ

自然の音と響き合ふ

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野に在りて詠まむ
命のほのほ在りて
詠まむとす

里山に足を運ぶ。
健やかである事の証左だ、などと一人合点して・・・。
里山は春の装い、である。
帰りには温泉にでも入って、などと妄想しつつ歩く。
歩くのだが、寄る年波には勝てずへこたれる。

自分でも分かるのだけれど、よれよれと歩いている。
だがしかし、誰か連れがあるわけでもないので堂々として撚れる。

山桜が五分咲き、であった。
遠目だと、満開に見える。
人がいない道と云うのは、好き勝手に歩けるので好きだ。
好き勝手、と云うのは自分勝手とは違う。
自分の思うままに、動けると云った意味合いである。
とまれ、山桜は遠目で見るべし。
近づくにつれ、青青とした葉が見えてくる。
それも、風情があって良いのだけれど。


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 怪しさや遠目で見たき山桜

          荒 野人

野に在りて詠まむ
命のほのほ在りて
詠まむとす

辛夷は拳。
その実生が、拳を握ったようになるからコブシと云うのだ。
その実生は熟れ尽くすと、割れて真っ赤な実が弾き出てくる。
実に鮮烈な赤さ、である。
まるで、人の血潮のように赤く生々しい。

だからと云う訳では無いけれど、辛夷は生きている。
その証左に、花弁の撓垂れ具合はどうだ。
蘂の根元の赤さは、どうだ。
錆び始めると、見事なまでに色を変える変節具合はどうだ。

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辛夷は、住んでいる特別区の区の花である。街路樹として詳細されている道路も多い。
春先に、辛夷と出会うことが多い。
それはそれで、嬉しい。
思わず、コブシをキッと結んでしまう。
肩に力が入る、のである。
それも嬉しい、のである。


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 花辛夷蘂の赤さの錆びつく日

           荒 野人

野に在りて詠まむ
命のほのほ在りて
詠まむとす

翡翠葛、である。
年に一度は、この豊かに垂れ下がったヒスイカズラを見に出かけなければ心に澱が残る。
後悔するのである。

カワセミの背中が、一列に縦長の列をなす。
飛翔するカワセミの背中が、閃光となるのだが・・・。
このカズラは、きちんと固定して見せてくれる。

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このたわわさは、どうだ。
奇跡に近い色あい。
勾玉のように気高く、気品に溢れているのである。

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単なる、緑ではない。
翡翠色なのである。
一閃する光を、受け止め輝くのだ。

句を詠もうとするのだが、残念ながら季語ではない。
誰か高名な俳人が、このヒスイカズラで一句ものにして頂けたら季語になるのだが。
従って、この季節の季語を詠みこまなければならぬ。
十七文字が勿体ないけれど、止むを得ない。


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 菜種梅雨ヒスイカズラの一閃す

            荒 野人

野に在りて詠まむ
命のほのほ在りて
詠まむとす

誠に、春を告げて惜しむ事を知らぬ花である。
スノードロップとは、似て非なる花。
スノーフレークは、丁度今ごろ満開である。
スノードロップは、二月に咲きます。
開花時期の差が、花の違いでもあります。

スノーフレークの花言葉は「純粋」「汚れ無き心」「美」などとなっています。
緑と白のコントラストが清らかな印象を抱かせることから、こうした花言葉がつけられたのだと思うのです。

スノーフレークは、ギリシャ語で「小雪のかたまり」と云った意味合い。
葉が韮に似ていることから、食べて食中毒を起こす事例が毎年繰り返されます。
スノーフレークには、毒素があるのです。

別名、スズラン水仙。
オオマツユキソウ。
マツユキソウは、スノードロップですよ。


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 白面の由々しくも無しスノーフレーク

               荒 野人


野に在りて詠まむ
命のほのほ在りて
詠まむとす

今年初の、一人静。
きっと固い土を避けながらだろうけれど、湾曲して数輪。
命が燃え出している。
今年も、ほっとする草花である。

けれど、これは云っておこう。
決して、一人で咲かないので静かではない。
咲き始めでも、数輪は必ず群れを成す。
触手を伸ばして、天を衝く。
その様は、一輪で一つの触手。
だから一人静なのだ。

一人静が群れて、騒がしいほどに花叢となる。
その咲き方を愉しむ。
その風情こそが、静かなのである。

今日の写真では、5輪。
今年初めての、一人静である。


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 包まれて一人静の和かき

         荒 野人

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